新天地を求めて
日本社会は息苦しい。
少なくとも、私の生きてきた世界はそうだった。
10歳までは、家庭で父親の支配のもとで怯え、
父親の単身赴任でようやく解放されたと思ったら、
大学卒業まで、ずっといじめられる側として過ごしてきた。
同世代の人にとっては、青春を謳歌したり、大人になるための準備をしていた時期に、
私は何も残すことができず、ただ過ぎ去ってしまった。
この体験から得た教訓は、逃げればよかった、ということである。
子供の時は、話を聞いてくれる祖父がいるのだから、助けを求めればよかった。
学生時代は、いじめられる側に突っかかったりせず、関わり合いにならなければよかった。
勝手なことだが、何年も勝ち目の見えない運動に携わったり、
獄中死した活動家たちに、思いを馳せてしまう。
彼らをそこまで駆り立てたものはなんだったのだろう。
また、どうして社会は彼らをそこまで追い詰めたり、排除しようとしたのだろう。
話を「逃げる」ことに戻すが、
多くの大人は賢いから、そうした問題に関わらないという選択をする。
しかし、この選択は甘い。
関わらない、と言うスタンスでは、問題を回避することなどできないのだ。
私は、逃げる。ただただ監視の及ばないところまで全力で逃げる。
逃げた先で、フロンティアを見つけ出すのだ。
子供時代、学生時代の経験から学んだこのことは、
この世界を生きる上でとても重要なことだと思っている。