社会とのチューニング

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詩織さんの告発に思う警察の危うさ

元TBS記者の山口敬之氏のレイプ疑惑を、詩織さんという女性が告発した。

 

本人が訴えられたことと、趣旨は違ってしまうのだが、

 

この事件、最近の日本の危うさを象徴している事件だと思ってしまった。

 

詩織さんの告発によれば、警察に被害を届け、逮捕状が請求されることとなったのだが、

 

何らかの圧力により、逮捕は取りやめになったという。

 

この事件、警察にとって、対応を誤れば組織の威信に関わる筋悪の案件である。

 

このような案件だからこそ、本来は被害の届出から逮捕状の取り消しに至るまでのプロセスを、細かく記録しオープンにしなければならない。

 

組織防衛のための当然の処置である。

 

しかし今回、警察はそうしなかった。

 

真っ当な対応をしなかった理由が全く見えない。

 

元TBS記者だからといって、こんな特別扱いをしたら叩かれるのは目に見えているし、

 

お友達記者を助けることによって安倍政権へ恩を売ることと、自分の組織の防衛のことを天秤にかければ、普通は後者を選択するはずである。

 

警視庁刑事部長であった中村刑事局長が、当時から安倍政権側の人間であったというなら話は別だが。

 

加計学園問題にしても、この事件にしても、安倍政権に忖度する案件としては、両者にとってあまりにもリスクが大きい。

 

加計学園の問題では、獣医師問題議員連盟の議長を務めている麻生副総理の存在があるとか、よくわからない政治背景があるようなのだが。

 

元TBS記者の山口敬之氏の逮捕を取りやめた理由だが、

 

山口敬之氏が与党の政治家のスキャンダルを握っていて、警察が逮捕を取りやめることによって山口氏に恩を売り、間接的に警察が安倍政権に恩を売るとか、

 

逆に山口氏にスキャンダルを握られている安倍政権側が、窮地に追い込まれている山口氏を助けて味方につけるために、警察に忖度させたか、などだろうか。

 

私にはこれくらいしかストーリーが思い描けないのだが、

 

安倍政権のお友達だから逮捕されなかった、なんてことは99%ありえない。

 

私はこのニュースを聞いた時、森友問題や加計学園問題よりも深刻なニュースだと感じた。

 

この問題が県警でおこったならば、そこの体質を改善します、で乗り切れるのだが、

 

今回逮捕状を取り消したのは警視庁である。

 

警視庁をトップとして末端の警察官に至るまでの警察という組織全体が、

 

女性のレイプ被害を政権のために揉消す組織だという疑惑をかけられてしまう。

 

職務を真面目に全うされている警察官の方々は、怒りの声を上げなければいけない。

 

本来であれば、前川全事務次官のように、誰か告発しなければならないのだ。

 

また、私たちも、女性のレイプ被害を揉消す組織に銃は持たせられないと訴えなければならない。

 

マスコミも、この問題には大いに責任がある。

 

おそらく、マスコミは山口氏にレイプ疑惑があるのを知っていたにもかかわらず、

 

政権中枢に詳しい記者として、山口氏を起用し続けたことである。

 

山口氏の疑惑に比べたら、ベッキーの不倫問題なんて比較にならない。

 

ベッキーのように、テレビ業界はスキャンダルには厳しいはずだ。

 

疑惑が追求されたら一発で吹き飛ぶような人物を起用し続けた理由、これは圧力か忖度だろう。

 

とにかく、最近社会的常識や倫理というものが、あまりにも簡単に壊されていて本当に怖い。

 

与党を信じている人、声を上げない人、このやばさに気づかないのだろうか?

アニメが純粋に楽しめない ー アニメ制作の現場を見て思うこと

先日、「君の名は。」で有名な新海誠監督のスタジオで働いている方のお話を聞く機会があった。

 

予想していたことだったが、当然定時なんてなく、とにかくスタジオや監督から一般企業では考えられない要求が飛んでくるとのこと。ちなみにその方はアニメーターではない。

 

アニメーターの方にお話を聞く機会もあったが、6/7に放送された、NHKクローズアップ現代で放送されたように、とにかく低賃金、長時間労働というお話だった。

 

私は、子供の時に見た「もののけ姫」でアニメが好きになった。

 

人間の想像力によって、とにかく制限がなく作れるのがアニメの魅力だ。

 

アニメの制作現場が、こんな状況だと知ってしまえば、

 

いくら素晴らしい作品を見せてもらっても、子供の時のように、純粋に作品を楽しむことができないのだ。

 

中国のiphone工場や、東南アジアのマクドナルドの工場の現状を知った時のように、いくらそれが素晴らしくても、美味しくても、憂鬱な気分になる。

 

現状打破についてだが、アニメーターが組合を作るなどして、現状以上の制作費を交渉しなければならない。

 

しかしながら、テレビ産業が斜陽である以上、改善が望めるとは思えない。

 

一概的に搾取されているとは言えない面もある。

 

 

 

少し前に、キングコング西野亮廣さんが、自身の絵本を無料公開した時批判を浴びたが、

 

私は眼球が飛び出るくらい頭にきた。

 

特に頭にきたのは、「子供達のために」絵本を無料公開した、という文言である。

 

西野さんの言動からは、自身の行動が、本当に子供のためなのか?お金や名声のためではないのか?という疑問に十分に答えられているとは思えなかった。

 

私は、作品から透けて見えてしまう欺瞞性や無関心性が本当に嫌いなんだよ!!

 

その言葉を聞くまでは、絵本のクオリティ、世界観はとても素晴らしいと感じていたため、

 

心底がっかりした。

 

 

ただ、彼の言っていること、やっていることは間違いではない。

 

お金の稼げるクリエイター、そうでないクリエイターの差は今後どんどん開いていくだろう。

 

本来、彼は何も責められることはしていない。

 

 

 

これも前の話であるが、ドワンゴ会長の川上さんが、スタジオジブリ宮崎駿監督に怒られる場面が、NHKで放送された。

 

川上さんは人工知能が学習した効率的な生命の動きを宮崎監督に見せたのだが、

 

宮崎監督は「生命に対する侮辱を感じる」として突っぱねた。

 

私は少し宮崎監督の気持ちがわかる気がした。

 

川上さんが見せた人工知能の動きというのは、

 

私にとっては動物が苦しみ、のたうちまわっている動きにしか見えなかった。

 

それはまるで、原爆が落とされた時に、熱で皮膚を焼かれのたうちまわった人間のようだった。

 

 

 

西野さん、川上さんのお二方の件は、一方的な正しさを他人に押し付けてしまったことによる不幸なのではないかと思う。

 

別に宮崎監督を持ち上げるために書いたのではないが、彼の最後の作品に見られるように、戦争嫌いな自分と兵器が好きな自分、どちらかを否定するのか、または両立するのかを突き詰められた作品だと思う。

 

話が完全にそれてしまった。

 

アニメを視聴する側も、ただ楽しければいいや、という姿勢ではやはりいけないのだと思う(常にそうである必要性はないが。)

 

制作する側が幸せでなければ、素晴らしい作品など作れないのだから。

 

 

 

 

 

 

安倍首相のお詫び会見から考えたこと

6/19、安倍首相が今国会の運営についての記者会見を行った。

 

加計学園という自身の問題で、共謀罪という世紀の悪法を強硬に成立させておいて今更、

 

と怒る気持ちを抑えつつ、とりあえず批判するならば全部見なければならないと思い、

 

40分間の記者会見を視聴させていただいた。

 

 

冒頭では、加計学園問題における議論の深まらなさと、自身の国会中の態度について、反省の弁を述べていた。勝手に審議を打ち切っておいて、本当に何をいっているんだか。

 

共謀罪テロ等準備罪)については、国際社会でテロが頻発する中、東京オリンピックを開催するためには法整備が必要であるという、いつも通りの政府の立場から答えであった。

 

皇室典範や有効求人倍率、農業改革などに言及があったのち、国家戦略特区法ついて触れた。

 

これについては、企業が農地を取得することを可能にする、また学校教育において民間の知恵を借りることができる制度を整えてきたようだ。この点に関しては、私が関わる業種にとって大変プラスとなるので、大変ありがたいものである。

 

国家戦略特区法そのものは、今回のように公平性、透明性を欠かなければ、かなり国民にとって良い制度だと思う。獣医学部を設立する大学を、加計学園でなく、京都産業大学にしておけば、今国会の混乱というのはなかったのではないだろうか。

 

この記者会見を見て思ったのは、国会中継を見るよりも勉強になったということである。

 

正直、国会を見ていても、専門用語が飛び交い、国民目線でなく、それぞれが政治家の立場、官僚の立場、与党、野党の立場で意見を言うだけなので、議論が深まらず、視聴している私もさっぱり理解できない。

 

そんな国会中継よりも、総理大臣の一般に向けての記者会見の方が、今国会で起こったことを要約するするのに役立った、と言うのが今回の結論である。

 

民進党蓮舫代表にも、与党の批判だけでなく、やはり党としてのビジョンや自民党との違いなどを、一般に向けてわかりやすく語っていただきたい、と思った。

 

蓮舫代表は、問題点を追求する能力に長けた政治家だが、国民が野党第一党として民進党の党首に望んでいることは、責任を全うできる人物なのだ。

 

かなりきついことを言えば、共謀罪が成立するならば、党首を辞任するぐらいの決意で国会に臨んでいただきたかった。

 

多くの国民は、専門用語がわからないからこそ、本質的な部分で政治を見極めるしかない。

 

野党に求められる本質とは、ただ政争の具として議論しているのか、それとも本気で政治を変えようと思っているのか、である。

 

ただ批判しているだけでは、本気度が国民に伝わらない。

 

蓮舫代表には、民進党の代表として安倍総理と同じく今国会のあまりのお粗末さを謝罪するくらいの、

 

やり方の転換がなければ、いくら内閣の支持率が落ちたところで、また復活してしまうのは目に見えている。

 

民主政治が復活するためには、民進党が強くならなければならない。

 

そのための政治手法を見直し、本質的に変わっていってほしい。

 

ブラック企業と食料問題

大学を卒業して、二年間普通の会社に勤めた。

 

朝から晩までデータを入力するだけの毎日で、結局体調を崩してやめた。

 

子供の頃から、なんで働かなくてはいけないんだろうと考えていて、

 

実際に働くことになってから、一層その思いは強くなった。

 

 

学生時代、プロ野球選手になるのが夢だった。

 

大学まで続けたが、この道では食っていくことができないと思い、断念した。

 

その時に思ったのは、もし、食べ物に困らない世の中に生きていたならば、

 

自分は野球を断念しなかっただろう、ということである。

 

 

現代人は、自分の食い扶持を得るために、多くの人が必死に働いている。

 

自分の口に入るのがわずかであるにも関わらず、である。

 

 

彼らも私と同じような、他にやりたいことがあっても、諦めざる得ず、

 

現状、不本意な生活を送っている人も数多くいると思う。

 

 

資本主義社会は、公平でなければならない。

 

公平であるためには、全ての人が同じ土俵に上がることができる必要がある。

 

しかし、現状は、その土俵に多くの人が上がれずにいる。

 

食料問題を解決すれば、彼らが土俵に上がれるのではないか。

 

かつ、競争に興味のない人であっても、競争せずに生きていくことができるのではないか。

 

 

人は元来、自分が食べていくために、漁をし、作物を育てた。

 

しかし、奴隷制ができたことによって、自分が食べるためのものではない食料を得るために働かなくてはならなくなった。

 

現代においても、自分の働いた分の見返りがない仕事をしなければならないのは、それは奴隷制といってもいいと思っている。

 

私は、全ての人が自分の思うような働き方、生き方ができる時代を生きたい。

 

この時代において未だに、人が奴隷のように働くなんて、そんな必要は無くなって欲しいのだ。

 

 

 

新天地を求めて

日本社会は息苦しい。

 

少なくとも、私の生きてきた世界はそうだった。

 

10歳までは、家庭で父親の支配のもとで怯え、

 

父親の単身赴任でようやく解放されたと思ったら、

 

大学卒業まで、ずっといじめられる側として過ごしてきた。

 

同世代の人にとっては、青春を謳歌したり、大人になるための準備をしていた時期に、

 

私は何も残すことができず、ただ過ぎ去ってしまった。

 

 

この体験から得た教訓は、逃げればよかった、ということである。

 

子供の時は、話を聞いてくれる祖父がいるのだから、助けを求めればよかった。

 

学生時代は、いじめられる側に突っかかったりせず、関わり合いにならなければよかった。

 

 

勝手なことだが、何年も勝ち目の見えない運動に携わったり、

 

獄中死した活動家たちに、思いを馳せてしまう。

 

彼らをそこまで駆り立てたものはなんだったのだろう。

 

また、どうして社会は彼らをそこまで追い詰めたり、排除しようとしたのだろう。

 

 

話を「逃げる」ことに戻すが、

 

多くの大人は賢いから、そうした問題に関わらないという選択をする。

 

しかし、この選択は甘い。

 

関わらない、と言うスタンスでは、問題を回避することなどできないのだ。

 

 

私は、逃げる。ただただ監視の及ばないところまで全力で逃げる。

 

逃げた先で、フロンティアを見つけ出すのだ。

 

 

子供時代、学生時代の経験から学んだこのことは、

 

この世界を生きる上でとても重要なことだと思っている。

 

選挙って本当に意味あるの?

日本の選挙制度について書きたい。

 

私は、生まれてこの方選挙で一票を投じたことがない。

 

選挙にも行っていないのに偉そうに語って、となるかもしれないが、そこには目をつぶってほしい。

 

なぜ行かなかったのか、という理由だが、

 

私が一票投じたからと行って、政治が変わるなんてことは絶対ありえないからだ。

 

今頃分かったのは、政治を動かしたいのであれば、まず投票に行くのではなくて、

 

組織を作って、固定票を作らなければならない。

 

作った固定票によって、政治家たちを動かすのだ。

 

政治において、ただの1票にはなんの意味もない。

 

しかし、まとまった10票、100票ならば、政治家を動かすことができる。

 

勝手なことを言うが、

 

最近の日本の政治に不満を持つマスコミは、

 

「選挙に行こう」ではなくて、

 

「政治団体を作ろう」アピールをしてみれば良いのではないかと提案してみる。

 

 

 

「民主主義を望まない」という民意

共謀罪強行採決など、最近の国会では民主主義が機能していない。

 

与党の政治家に、やり方が全く民主主義でない、と文句を言うと、

 

「これが民意ですから。選挙という正当なプロセスを経た結果ですから。」

 

と言われてしまうのだ。

 

これを言われてしまうと、確かにその通りで、私が思っていることは少数意見なのだがら、大多数の意見に従わなければならない。

 

しかしながら、私はこれには全く納得できない。

 

私はただ、民主主義に基づいてください、と訴えているだけなのだから

 

私の他にも、同じように訴えている人はたくさんいるのだが、受け入れてもらえない状況が続いている

 

私のように、「民主主義に基づいて欲しい」という民意が、なぜ受け入れてもらえないのか。

 

私の意見を少数にしている、大多数の意見とはなんであるのか。

 

これは、日本の大多数の国民が「民主主義を望まない」と思っているからではないか、という結論に至った。

 

彼らにとって民主主義とは、足の引っ張り合いに過ぎず、国家に任せておけばうまくいく、と考えているのだろう。

 

こうした考えは、全くもって大甘である。

 

民主主義を手放すということは、自分の権利やプライバシーなどを放棄する、ということと同義なのだ。

 

それがいかに危険なことなのか、国家による弾圧を経験していない人たちだから、全く理解できないのだろう。

 

同情するならば、日本はフランスのように民衆が立ち上がって権利を獲得してきた国ではない。

 

日本はどの時代においても、為政者が納税などの対価として、一般民衆を保護してきたに過ぎない。

 

明治維新だって、一般民衆からすれば、お上というものが、江戸幕府から明治政府に変わっただけなのだ

 

未だにその感覚が根付いていて、私たちはお上に文句を言わないのだから、保護されるべきという感覚で現代を生きているのである。

 

こうした感覚は、国際社会の中でも日本くらいのものなのではないだろうか。

 

自分たちはリアリストを気取っているつもりかもしれないが、本質は視野の狭い、歴史を知らない赤ん坊である。

 

日本でも多くの人が、権利を得るために戦ってきた。

 

その恩恵にあずかることのできた時代は終わり、再び権利を得るために戦わなければならない時代がきたのである。

 

歴史とはそういうもので、平和と激動を繰り返しているだけに過ぎない。

 

本質的な意味においての自己の権利、安全、プライバシーが欲しい国民ならば、立ち上がらなければならない。

 

話は完全にそれてしまうのだが、

 

私にとって、お金をひたすら稼いでく人生や、名誉のために生きていく人生に、全く興味が湧かなかった。

 

人の人生というものに、意味があるとするならばそれはなんなのだろうとずっと考えていたのだが、

 

人の人生とは、自分の権利を、自分の力で勝ち取っていくことなのではないだろうか、という結論に至った気がする。

 

 

私たちは現在確かに、安全な空間に生きているのだが、

 

それが同時にVRで表示される世界のような、虚構性の世界で生きている。

 

その虚構を埋めるにはどうしたらいいのか。

 

それが私にとって人生というものなのかもしれない。